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2020年3月8日日曜日

「生長の家の教育」の魅力と希望を伝えよう!-「ブラック職場」といわれる学校現場を照らす光に -



元高校教諭のK.Oです。

  ここ数年、教員の志願者が減少し、教員のなり手が減っています。2018年度の公立小中高校教員採用試験の受験者は、全国で約13万8千人。2012年度は約16万人ですから、6年間に約2万2千人も減っているのです。(文部科学省統計) 理由は、長時間労働や保護者からの過大な要求、いわゆるモンスターペアレンツ等により「ブラック職場」と言われはじめていることに深く関わっています。
 
「生長の家の教育」は素晴らしい!-よろこびと希望・・・「祈り」から

 「生長の家の教育」を実践すると、教育は楽しくなります。児童・生徒は個性と長所を伸ばし天分を発揮し、教員はよろこびを感じ使命を抱き生き甲斐が生まれます。「人間・神の子」の自覚により、一人ひとりの生命の尊さと無限の可能性を理解し、学習や活動、仕事に表現できるからです。また、地球温暖化による異常気象-台風・大雨が頻発するなかで、真の環境教育を学び実践することにより、未来社会への希望が湧いてきます。

 特に、「祈り」の教育が子供や保護者に関わる問題だけでなく、教員の悩みも含め、教育のあらゆる問題を解決する大きな力になります。現代社会にあって、瞑想・マインドフルネス等が注目されているのです。

生長の家総裁・谷口雅宣先生は、「祈り」について、次のようにお説きくださっています。

 『観世音菩薩讃歌』には、こうあります――

   祈りは、 

   神の御心と汝らの心との導管にして 
  神との交流の楽園なり。

 日常生活の忙しさに気を取られていると、私たちはこのパイプがすでに心の中にあることを忘れがちです。しかしそれを思い出し、パイプから新鮮な“空気”を吸い込むことができれば、私たちはすぐにでも神さまからアイディアを受け取って、楽しい、創造的な生き方をする準備ができるでしょう。(谷口雅宣先生著『神さまと自然とともにある祈り』51~52頁より)
 

この「祈り」から幸せな教員生活を送る知恵と愛と生命を得ることができます。

教職者のよろこび・使命の提案


  昨年の教育学会に参加した、M大学教育学部3年生のY.Sさんの感想文には「先輩方が、『褒めて認める教育』や『子どもの現象に振りまわされず、実相を拝んで接する』ことを楽しそうに前向きに実践されている姿をみて、改めて自分が目指している職業の尊さを感じることができました。『子ども達は神の子さん』をつねに心に刻んで、明るくメリハリのある教師になります!」とあります。

 現職の教員はじめ、教員を志す学生に「生長の家の教育」の魅力と希望、特に「祈り」を伝え、教職者のよろこびと使命を提案していきたいと思います。もって、教育界に夢と希望の光をともし、“新しい文明”の基礎作りに貢献していきましょう。
                                        K.O



2019年2月11日月曜日

「いいことノート」への取り組み③

みなさま、こんにちは。小学校教諭のMTです。
今回は、「いいことノート」に取り組んだ際に、保護者からいただいた感想を紹介します。


・学校での様子がよくわかり、毎日の配信が楽しみになっております。本人は毎日ノートを書く事で、お友達の良いところを発見できたり、してもらって嬉しいという感謝の気持ちがわかるそうです。書く事がしんどいと感じる事もあるようですが、嬉しい、よかったという事を考える事によって、嫌な事、悪かった事が減り、プラス思考につながるのかなと思いました。
・毎日、いい事がある事に気づけるのは幸せなことだなぁ。と、ほのぼのと読ませてもらっています。
・毎日、子供も一緒に読んでいます。お友達の、うれしかった気持ちなどを読むことで、人の気持ちにも思いを巡らすいい機会かなと思います。
1日の学校生活を振り返って、ポジティブな考えを意識することで、気持ちの持ち方がプラスの方向に自然と流れていくように思います。
・それぞれの良いことを楽しく拝見させてもらっています。また、送信いただいた内容から、話のきっかけともなりました。あれこれ話さない息子ですので、学校での様子を知らせていただくことは、とても有難いです。
・いいことノートについて娘は、クラスのみんなのいろいろな思いを知ることが出来て、勉強になると言っていました。メールが届くと一緒に読み、みんなのあたたかな気持ちにとても癒されています。今日のいいことを思い、明日につながる、素敵なノートに感謝しております。
・毎日、子どもたちがどんないいことに出会ったのかな…と楽しみに拝見しています。普段、見過ごしがちな可愛らしいいいことを読むと、ほほえましく元気をもらいます。
・子ども達のいいことと笑顔が毎日あること、とても嬉しく思います。いいこと探しは一日を振り返り見つめ直し、心がより豊かに成長していくいい機会であると思います。これからも楽しみにしています。
・『いいこと』配信を親子で楽しみにしています。『いいこと』をみつける『いい目』が養われているなぁと感心しました。私も家事の合間に(ノートは無しで)はじめたのですが、自然とふりかえりができて『今日もなんやかんやいって、いい1日だったなぁ』と気持ちが軽くなりました。でもついつい『今しか言えない小言』も出てしまうのですが・・・。バタバタな日々の私にとって『いいこと』配信は、我が子とのかかわりを考える、思い出す、きっかけになっています。
・毎日「いいこと」メールが届くのを楽しみにしています。私も「いいこと」を書いてみようかな。
・娘も配信されることを楽しみにしています。親子で一日の学校生活の振り返りもできるので有難いです。一見不都合なことでも、見方を変えたら、有難い、いいことだと気付きを頂けるよい機会。小学生のうちから、この訓練を自らつけていけることは素晴らしいと思います。

「いいことノート」を書くことの”よさ”をお家の方にもご理解いただけ、また、お家の方にも、良いことに目を向ける日時計主義の実践が広がっているようです。
たいへん有り難いことです。

さて次回は、子ども達に目を向けようと思います。

2018年8月9日木曜日

親の背中を見せよう。Show your children that you parents are struggling.

 

 小学校教諭のY・Sです。

 先日,教区の親子見真会で教育相談の講師を務めさせていただきました。参加者の皆さんはみな真剣にお子さんの生長や勉強の仕方などの話題に耳を傾けてくださいました。近年,様々な研究の成果によって多面的な子どもの学習支援方法が開発されていますが,私が一番強調したかったことは表題の英語表現に集約されています。つまり,親が奮闘しているところを何気なく子どもは見ていて,自分も向上しようという意欲に掻き立てられるものであるということです。これも近年の教育心理学における発見の一つです。
 さて,では親は何に奮闘(努力)すべきでしょうか。読書に熱中するのも良いでしょう。資格試験に挑戦することもすばらしいです。また,趣味に熱中する姿も子どもには良い影響を与えるようです。
 私は「英会話」を一緒に勉強することをお勧めします。ご存じの通り小学校では2020年度から3年生以上の学年で英語が必修教科(Compulsory subject)になります。既に今年度から移行期間として週に2時間の外国語活動の時間が設けられています。もちろん指導者である私たち教員も研修をしなければなりません。読者もみなさんもぜひ英会話をお子さんと一緒に学習してみてはいかがでしょうか。
 最後にエマーソン(Ralph Waldo Emerson)の名言からのQuotationをご紹介します。
☆What is a weed? A plant whose virtues not yet been discovered. 雑草とは何か?その美点がまだ発見されていない植物である。
☆Other men are lenses through which we read our own minds. 他人とは自分の心を読み取ることのできるレンズである。
☆Whatever course you decide upon, there is always someone to tell you that you are wrong. There are always difficulties arising which tempt you to believe that your critics are right. To map out a course of action and follow it to an end requires courage. 何をやろうとしてもあなたは間違っていると批判する者がいる。その批判が正しいと思わせる多くの困惑が立ちはだかる。計画を描き,最後まで実行するには勇気がいる。
☆Please treasure what you are crazy about now. Bcause that is what you really want. 今あなたが夢中になっているものを大切にしなさい。それはあなたが真に求めているものだから。

2017年11月24日金曜日

子どもたちのために「聖経」を読もう。その功徳無限なり!

小学校教諭のY・Sです。

教育界は今,大転換期を迎えていると私は感じています。道徳の教科化や小学校での英語の必修科目化は前向きにとらえればよいことですが,発達障害・不登校・いじめ・子どもたちの学習意欲の低下や授業妨害(または拒否)という問題も山積しています。最早,唯物的教育観では対処不可能な学校現場であることは明らかです。

 私は担任時代には(今は教務で担任をもっていません)子どもたちの写真を自宅の神棚に奉納して,毎日の神想観で実相を観じ,聖経を唱げて祝福していました。今は学校の全児童を祝福しながら神想観・聖経読誦をしています。

 最近こんなことがありました。いわゆる発達障害といわれる児童の言動が急に悪化し始め,担任ばかりでなく学校中がその対応に追われる状況になったのです。そこで,私は特にその児童の名前を心で呼んで思念してから聖経を読むこと3日。驚くほどに効果(功徳)が出始め,落ち着いてきたのです。特に私の前では,まるで私が祝福しているのを知っているかのように素直になります。もちろん,これは私の力ではなく真理の言葉とその波動が子どもによい影響を与えたのであると考えます。

 さらに,問題と仮に言われる子どもの行動や障害の中には「霊的な障り」もあることは否定できません。そのような場合「先祖供養」や「聖経法供養」に申し込んであげたことにより絶大な功徳が現れ,その子どもが優良児となったという事実はたくさんあります。 読者のみなさん,子どもたちのために,教育現場のために,何よりも子どもたちの心身共なる健全な生長と将来の幸福のために「聖経」を読んであげましょう!

2017年10月21日土曜日

なぜ勉強しなければいけないの?

小学校教諭のY・Sです。

「なんで勉強しなければならないの?」という問いを子どもから受けたことは教師に限らず誰にでもあると思います。皆さんならどう答えますか?「子どもは勉強するのがしごとだからだよ。」,「勉強しないと立派な大人になれないからだ。(言っている人が立派な大人でない場合もある)」「いい学校に入るためだ。」等々。いずれも根本的に間違った答えです。子どもは勉強しなければならないのではなく,”勉強していい”のです。つまり勉強するもっと言えば学問をする権利が子どもにはあるのです。その機会と場,適切な条件を与える義務は私たち大人にあるのです。
   

     教育基本法 教育の実施に関する基本
(義務教育)ー1部抜粋ー
第五条 国民は、その保護する子に、別に法律で定めるところにより、普通教育を受けさせる義務を負う。
2 義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする。
3 国及び地方公共団体は、義務教育の機会を保障し、その水準を確保するため、適切な役割分担及び相互の協力の下、その実施に責任を負う。

 そう,子どもたちは勉強をしてよりよい国家社会の形成者になる,簡単に言えば「幸せになる権利」をもっているのです。
それに関して私は時々子どもたちに,「慧可断臂」の故事を話します。子どもたちは真剣に聞いてくれます。ご参考まで。

2017年10月11日水曜日

灯台もと暗し

Hello there! I'm Y.S. It's great to be with you. Today,I'd like to share following "WORDS OF WISDOM". 


You cuold find a sophisticated teacher for the position who is working in your school. It's often difficult to see what's right in front of your eyes, as the saying goes.

 I suppose that's true.

2016年3月13日日曜日

言うことを聞かない子どもへの対応

小学校教諭のY・Sです。

最近の子どもは,小学生でも先生や親の言うことを聞かず,指示すると「いやだ!」といってふてくされることがあるようです。このような児童は年々増加しているのが現実のようですが,ここに最もよい対応があります。それは,
 子どもと遊んであげることです。
 心身の発達が著しい児童には学習(脳の発達)と運動や遊び(体と心の強化)の両立が必要です。学校で言うことを聞かない児童がいて,対応に苦慮したら,「発達障害」だとか「ADHD」だとかと疑う前に先生が休み時間に一緒に遊んであげることです。これは理論ではなく私の実際の経験から言えることです。
 授業や集団行動に馴染めず,すぐにキレてしまうような児童や先生の言うことを聞かない児童は,まず間違いなく“先生が好き”ではありません。人間は元来尊敬する人の言うことは,例えそれが多少理不尽なことだと認識しても聞くものです。小学生の児童には,まだこの“尊敬する”という観念が十分に醸成されていません。ですから,自分が一番好きである遊びを一緒にしてくれる人を“尊敬”し,その人の言うことを聞くのであると思われます。私も今までに,いわゆる問題児扱いされている児童を何人も受け持ちましたが,授業中全く集中できず,周りの子どもたちに迷惑をかけたり,授業を妨害したりしたとき,「休み時間外で遊ぼうか?」と声をかけると「え?ほんと?」と意外だという表情をして授業が終わるまで静かにしていました。約束通り2時間目と3時間目の休み時間にとことん一緒に遊びました。すると,3時間目以降はすっかり人が変わったようになって,私の言うことも聞いてくれるようになりました。もちろん,学級の他の児童たちも一緒に遊びに加わりますから,学級全体が明るく活発になります。
 とはいえ,学級担任は分刻みの忙しさですからそんな時間の余裕はないと言われる方がおられるかと思います。ではどうするか?答えは簡単。“宿題を少なくする”のです。つまり○付けをする時間を削って子どもたちと遊ぶ時間に充てることです。そんなことをすると,学力の低下につながるのではという心配なら無用です。授業で勝負するのです。子どもたちが先生を“尊敬”して心を開いてくれたら授業もスムーズに進むこと請け合いです。

2015年8月30日日曜日

「いじめ」について考える

小学校教諭のY・Sです。 

最近また,いじめの問題がニュースなどで騒がれています。いじめは卑怯であり,暴力であり,人間として許されざる行為であることは言うまでもありません。また,いじめを受ける側の苦痛は計り知ることができないものでしょう。では,いじめをなくすにはどのような指導が適切なのでしょうか。 一般的には,「いじめは絶対に許されない行為である」ということを児童・生徒に訓示する。「相手に対する思いやりの気持ちをもとう」と呼びかける。「いじめを見たりされたりしたら,すぐに親や先生に報告する」といった指導がなされているようですが,果たしてこれでいじめは無くなるのでしょうか?
 私は,“人間という動物は本能的に弱い者に対して残酷な行為をしたくなる”と思っています。しかし,それはあくまでも人間の肉体的本能の側面からみた性質です。これを「人間神の子」という側面からみれば,“弱い者や一見未熟な者に対してもっとよくなってもらいたい”という愛の念と捉えることができると思います
 ここで私が以前に経験した事例を挙げてみます。
 数人の男児がある一人の男児を小突いたり,授業中に発表したりすると笑ったりするという行為がみられました。(小学校中学年だったと思います)私はその度毎に「何をしてるのかな?」「なぜ笑うのかな?」と穏やかに対応していました。しかし,どうやらそれらの行為は私の見ていないところでも行われており,エスカレートする寸前であったようで,保護者からそれとなく見守ってほしい旨の言葉が連絡帳に書かれていました。(もちろんそのことは上司に報告)私は早速その“いじめっ子達”と話をしました。まず,事実を確認した上でだいたい次のような話をしました。
 
 T「君たちはA君(いじめられている男児)をどう思っているの?」
 S「なんかイライラする。」
    S「見ているとむかつく。」
 T「そうか。どんんなところにイライラする?」
 S「なんか,情けない。はっきりしないところ。」
 S「根性がない。弱すぎ。」
 T「そうか。確かにA君は,君たちより体は小さいし,勉強にも自信をもっていないよ  うだね。」 
 S「でしょう?見ていてなんかこう,むしゃくしゃする。」
 T「じゃあ,君たちはA君が嫌いなのかな?」
 S「嫌いじゃないんだけど何か黙ってられないんだ。」
 T「ということはA君のことが気になるということだね。」
 S「まあ,“うざい”から気になる。」
 T「そうか。まあ,うざいという言葉はよくない言葉だけれど,A君に関心があることは分かる。」 
 S「関心・・・?」
 T「つまり早い話が,君たちはA君が“好き”なのさ。」
 S「え~。好きじゃないし~。」
 T「じゃあ,どうなってほしいんだい?」
 S「もっと強くなってほしい。」「もっとしっかりしてほしい。」「男らしくなってほしい。」
 T「ほら!もっとこうなってほしいという気持ちがあるじゃないか。先生だってみんなにもっと勉強ができるようになってほしい。もっと根性を出してほしい。もっと思いやりをもった行動ができるようになってほしい。そう思うからときどき厳しくするんだ。でもそれは先生がみんなのことが好きだからだ。嫌いな人によくなってほしいという気持ちは起きないよ。」
 S「そうかなあ・・・?」
 T「これからA君とどうやって付き合っていくのがよいのか,考えてみてごらん。」
 S「・・・・・。」
 
 その後,子ども達の様子を見ていると,A君に対して「がんばれ!」とか,授業中に答えが当たったときなどに「おお~。」といって拍手をする場面が見られるようになりました。特にA君の鉄棒の逆上がりの練習を例の“いじめっ子”達が応援している場面が印象的でした。私はそっと遠くから見守っていたのですが,A君が逆上がりに成功したとき「やったー!」という大歓声が湧き,みんなで私に報告しにきたときの場面は忘れられません。A君はうれし泣きしていて,それにつられたのか“リーダー格”の男児がもらい泣きしていたのを見て,私もついほろりとしてしましました。 
 そうです。“いじめっ子”は本来いないのです。“いじめ”とみられる言動の奥には,相手に「もっとよくなってほしい」「本当はそんな情けない君ではないんだぞ」といった励ましの気持ち,愛念があるのです。子どもはまだ表現が未熟なため,それを極端な形で表現してしまう。その一つが“いじめ”につながってしまうのではないかと思います。
 私たち教師は,いじめを絶対悪として捉えるのではなく,児童・生徒の中にある神性・仏性が歪んだ形で現れていると観て,適切な助言を与えることがいじめという現象を無くすひとつの糸口になると考えます。
 

2015年7月14日火曜日

“喜びの教員生活”を提案


短大非常勤講師のK.Oです。 

 この春、桜の小さなつぼみが可憐な花を咲かせるように、若々しい新米の青年教師が誕生しました。生命学園出身の、Iさん(青年会員)です。生命学園に父母と通いはじめてから早10年。本人はもちろん、両親も、生命学園の関係者も喜びと希望に胸を膨らませています。勤務先は市内のM保育園というところです。 

 I先生は、「子供たちのもっている良い面を愛情で引き出していきたい」と、抱負を語っています。
保育士としての新たなスタートに、祝福の祈りを贈ります。神様の祝福がありますように・・・。 

小学校教員を訪ねて - 学校の現状
 1月初旬、小学校教員をしているO先生を訪ねる機会がありました。学校の現状、先生方の様子を聞いたところ、困難な問題が多くあることが分かりました。とくに小学校の場合、1〜2年生で発達障害の児童が近年増加。一クラスに2〜3人いて、授業中に歩き回る、大声をあげる等、指導に手を焼いているということです。クラス担任は、大変な努力をしているそうです。また、児童減少により教職員も削減になり、一人の教職員の担当する仕事が増え、忙しさが増しています。精神的ストレスが多く、とくに若い先生の苦労は大きいのです。 

O先生は、特別支援学級の担任をしていて、知的障害の児童を受け持っています。この児童に学習内容を理解させるのに、苦労が多いといいます。一般的に、保護者は特別支援学級に入れることを嫌う傾向にあり、保護者への対応に年々困難を感じているそうです。O先生は、様々な学校の抱える問題、同僚の悩み、また自分の悩み等をとうとうと、予定の時間をオーバーして話し続けるのでした。 

「日時計主義」の教育実践を
私が自分の体験を話し始めたら、どのように解決したのですかと、熱心に聴いてきて関心を示してくれました。かつて同僚から無視され、いじめを受けたときに、谷口清超先生のご文章から、全ての人の幸福を祈ることを教えられたのです。朝の神想観で祈り、学校のはじまりの前に祈り、そして聖経読誦等を心を込めて実践しました。また退校前に、今日一日の中で特に良かった事、明るい面に感謝する祈りをしました。そして帰宅後、『日時計日記』をつけるのです。「日時計主義」の生き方を続けたときに、気がついたら職員室内が融和し、解決できました。そこで、O先生に『日時計日記』をプレゼントして、是非書いてみてくださいとお勧めしました。 

生長の家総裁・谷口雅宣先生は、「日時計主義」について次のようにご教示くださっています。

生長の家は「世の中の明るい面」「楽しい面」「素晴らしい面」に注目して、それを「コトバの力」によって褒めたたえ、引き出すことによって、すでにある「神の世界」をこの地上に現すための運動であります。(中略)私たちは今日まで「日時計主義」の生活を大いに進めてきました。また、これからもさらに進めていきたいと思うのです。なぜなら、この「日時計主義」こそ、実相独在の信仰と唯心所現の真理を体現した生活の実践だからです。 (谷口雅宣先生著『日時計主義とは何か?』132133頁) 

私達は、今こそ現職の先生方に、どんな問題や困難があっても、今与えられている日常の生活の中に、“喜びの教員生活”を営むことができるということを、自信を持って伝えていきましょう。白鳩会・相愛会の子弟の教員の方に、近所の教員の方に、友人知人の教員の方に、そして勤務校の教員の方に。 

 この訪問で私は、O先生と心が一つになれたような気がしました。愛行実践の喜びがあったのです。「結び合う」生き方の実践であると思います。

                                                 K.O

2015年5月22日金曜日

信じる心

小学校教諭のY・Sです。



 私たち教職員は「学校」という一つの組織の一員でもあります。そして,多くの小・中学校の教員は地方自治体の「公務員」でもあります。組織の一員であり公務員であることはその中での規則や法令を遵守することはもちろんのこと,職場でのルールや人間関係にも心を配らなければなりません。そこには必然的に自分の考えや信念と整合しないものごともあると思います。
 よく,教育に情熱があり子ども達のことを本当に考える先生ほど悩むことが多いと言われるのはそのためかも知れません。そのために教育現場に失望して去って行ったという先生を私も何人か知っています。
 しかし,どんな法律や組織のルール,さらには不文律からも自由なものがあります。それは「信念」です。どこまでも子ども達を「信じる心」です。
 私もいわゆる「荒れた学級」を担任したことが何度かあります。そのときに,どんな指導方法やお説教よりも効いたのがどこまでも子ども達を「信じる心」でした。それは一言で言うほど簡単なことではありません。一種の「行」でありました。
 例えば,授業が始まっても教室内が騒然としている状況を考えてみましょう。優しく「静かにして席に着きなさい」といってもだめな場合,大きな声で叱責すればその場は何とか教師の威圧感で収まるでしょう。しかし,そのうちにまた一部の子ども達が騒ぎ始めます。また注意しても騒ぎ始め,その内に起ち歩く子も。収拾がつかなくなります。私だったらどうするか。ほんの一例ですが,実践してきたことをご紹介します。
 先ず一言は指示します。「授業を始めるので席に着きなさい。」(着きましょうではなく,始めから着きなさいでよいと思います。教師は指導者なのですから毅然とするべき時は命令口調で)一言で事態が収まらない場合きちんとしている子どもを褒めます。普通はこれで静かになります。しかし,荒れている学級の場合それも通用しないことがあります。そこで私は教卓の前でじっと目を瞑ります。そして,心の中で
「この子ども達の騒いで言うことを聞かない姿は仮の姿である。これは私の心が騒いでいて落ち着かないのである。その心が子ども達に反映して騒がしい姿となって現れているのだ。ああ,この子ども達は騒がしく,言うことを聞かないのであるという間違った私の思いを神様どうか改めさせ給え。本来子どもはみな神の子であって,勉強は楽しいのであるから授業が始まったら落ち着いて先生の話を聞くのだという信念を私に強く持たせてください。」

 このような言葉を念じている内に教室内はいつの間にか静かになってきます。私が目をあけると,そこには先ほどまで騒いでいた子どもの姿はどこにもありません。みんな穏やかな目をしてこちらを見つめています。私はその時,思わず「ごめんね。」と口にしそうな時がありました。つまり,「先生の君たちを見る目が間違っていて君たちを騒がせていた。許してね。」といった気持ちになったのです。
 少々ドラマチックな場面に見えますが私の本当の体験です。もちろん,その場だけの信念ではなく,日々の生活や祈りの中で育まれた信念です。「信じる心」の強さも教師の指導力であると私は信じます。  

2015年1月27日火曜日

再び「やさしい先生負けないで!」

小学校教諭のY・Sです。

今日は嬉しいことがあったので記事にします。私が小学校6年生の時に国語の授業で出会った詩があるテレビ番組で紹介され,何十年ぶりかでその全文を読むことができました。特にその詩の最後の節が今でもこ心に焼き付いています。後半のみ抜粋してご紹介します。やさしい心の持ち主は,決して「受難者」ではありません。それは,必ず「大いなるもの=神」に通じ,本当の本物をつかむことができる人だからです。私はこの詩が大好きだと仰っていた当時の担任の先生と今でも年賀状を交わしています。きっと詩の中の娘さんは,最も美しい夕焼けを後で見ることができたと思います。


やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。
何故って
やさしい心の持主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで
つらい気持ちで
美しい夕焼けも見ないで。


             吉野 弘 詩集  「現代詩文庫」思潮社「夕焼け」より

2014年12月27日土曜日

今週の「おみやげ」は?

小学校教諭のY・Sです。

今年も御用納めとなり,今日からは9連休という方もいると思います。今年1年,子ども達のための精進・奮闘・活躍された教育関係者のみなさん,お疲れ様でした。
 今年最後の記事は「おみやげ」についてです。私は毎週金曜日には,学級の子ども達に「今週のおみやげは何かな?」と帰りの会で問いかけます。その「おみやげ」は物ではなく,その週に学習したり,新しい知識を得たりしたことを家の人に話すおみやげです。
 例えば,これまでに「好評」だったおみやげをいくつかご紹介します。
○  10分,20分・・・の正しい読み方は「じっぷん」,「にじっぷん」であ  る。
○ スリッパを踏みつぶして履けなくなり,いらいらしたことは誰にでもあること。
○ 「女王様」の正しいふりがなは「じょうおうさま」ではなく「じょおうさま」であること。
○ 「躓く」=「つまづく」は間違いで,「つまずく」であること。
○ 信号の赤・青・黄色の並び順は?(真ん中は黄色と判っているけど,赤と青がそのどちら側か?)○ 探し物をしていて見つからないときは,一旦止めた方が却ってみつかること。
○ 季節や行事に合ったことわざや簡単な英語表現など。
 つまり,その週で学習したことで,「なるほど!」とか「そうだったのか!?」と思ったことや,家の人に自慢できるような豆知識をもって帰り,話題にすることが「おみやげ」です。子ども達は常に好奇心と学ぶ意欲をもって活動しています。その中で得たことや気付いたことを誰かに伝え,表現することによって知的好奇心が益々高まるのです。同時に家族の会話が弾んで一家団欒に貢献することも期待しています。
 さて,今学期最後の「おみやげ」は,ことわざ「笑う門には福来たる」と「Keep on smilig !」という挨拶でした。英語の訳は敢えてしないでも,子ども達はしっかりにこっと笑って真似をします。
 

 では,今年も私のささやかな実践と拙文を読んでくださったみなさまに感謝致します。どうぞ,よいお年をお迎えください。
   Keep readnig and, Keep on smiling !!

2014年11月23日日曜日

誤った二分法による誤った指導

小学校教諭のY・Sです。

給食の好き嫌いが多い児童に「世界には何万人という子ども達が食べたくても食べられなくて飢えや病気で死んでいる。ちゃんと朝・昼・晩3食食べることのできる国に住んでいて,好き嫌いをするとは甘い考えだ!」といった指導をしたことはありませんか?私も実は,若い頃こんな指導をしたことがあります。また,不登校や学校に行くのを渋る児童に,「アジアやアフリカの国には,鉛筆一つ教科書1冊さえなくても勉強をしたいと思っている子ども達が大勢いるのに,学校に行きたくないなんて甘いことを言うな!」というようなお説教を聞いたことはないでしょうか。どちらも違和感があり,効果的な指導・助言とは言えませんね。もう一つ,子どもの頃,ちょっとした怪我や病気でぐずっているとき,親からこんな言葉で慰められたことは誰にでもあるかと思います。「お前なんかよりもっともっと重い病気や怪我で苦しんでいる人もいるんだから,それくらいのこと我慢しなさい!」この言葉に奮起したという人は,おそらく少ないと思います。このような考え方を『誤った二分法』といいます。つまり,物事を無理やりに2つに分けて,それ以外の可能性をすべて無視したうえで理屈付けをするある種の詭弁です。
 そもそも,世界中に何万人もの飢えた子どもがいようと,貧しくて学校に通えない子どもがいようと,食べ物の好き嫌いや不登校の原因とはなんら関係のない別問題であるということです。大切なことは,好き嫌いや不登校,病気や怪我で苦しんでいるのは,当の本人なのです。もし,日本中の好き嫌いのある子どもが何でも食べるようになっても,世界の飢餓はなくなりません。不登校の児童が我慢して学校に行っても,学校がない国に学校が建つ訳ではありません。子ども自身が自覚により,「世界の貧しい国の子ども達に役に立てるような大人になろう!」と決意したなら別ですが。
 要は,このように極端な比較を使って子どもを説得するよりも,問題を抱えている“その子”に寄り添って,具体的な解決方法を一緒に見つけていくことが大切なのだと思います。


ー参考文献ー
 誤った二分法(あやまったにぶんほう、英: false dichotomy)あるいは誤ったジレンマ(英: false dilemma)は非論理的誤謬の一種であり、実際には他にも選択肢があるのに、二つの選択肢だけしか考慮しない状況を指す。密接に関連する概念として、ある範囲の選択肢があるのにそのうちの両極端しか考えないという場合もあり、これを白黒思考 (black-and-white thinking) などと呼ぶ。なお "dilemma" の先頭の "di" は「2」を意味する。2つより多い選択肢の一覧が示され、その一覧以外の選択肢が存在するのに考慮しない場合、これを誤った選択の誤謬 (fallacy of false choice) または網羅的仮説の誤謬 (fallacy of exhaustive hypotheses) と呼ぶ。 ーWikipedia よりー

2014年11月6日木曜日

将来役に立つ習い事は?

小学校教諭のY・Sです。

道徳の教科化が中教審から答申されました。この件に関する記事は8月12日に書きましたので,より詳しい見解は後日またUPしようと考えています。
 今日は,先日保護者から質問されたことに対する私の回答をまとめてみます。「子どもの将来のためにどんな習い事をさせたらいいでしょうか」(将来,就職に有利な習い事はどんなものかという意)
という質問でした。
 まず,習い事はお子さん(以後一般的に”子ども”と表記)の自発的な意志に任せて無理矢理やらせないことが肝心です。もし,習い事がしたいと子どもが希望するならスポーツを含めて週に2回くらいが適量かと思います。将来のために(就職に有利な)習い事というのも,個人差がありますから一概に言えません。スポーツで心と体を鍛えることは誰にも有益でありますし,武道(柔道・剣道・空手等)は精神の鍛錬にもなります。
 学習関係について,個人的には学校の勉強をしっかりやっていれば十分だと思います。ちなみに私は大学まで行きましたが,学習塾は一切通っておりません。将来を考えて就職に有利な習い事は,と問われるなら,これも個人的な見解ですが,「英語」それも聞いて話せる英語を身に付けることのできるような学習をお勧めします。これは何も塾だけとは限りません。テレビやラジオの英語番組を親子で視聴することなどは,簡単な方法です。なぜ,英語をお勧めするかというと,これからの国際化が進む社会では,どうしても「コミュニケーション能力」が必要になります。しかし,現在行われている小学校の外国語授業は週に1回,中学校でも時数は少なくなり,毎日授業があるわけではありません。つまり,学校の勉強だけでは受験準備のための英語は身に付いても,使える英語・実践的な英語は習得し難いのが現状です。
 さらに,国は外国人観光客の集客による外貨獲得に力を入れようとています。また,防災教育を学びに東日本大震災の被災地を訪れる外国人も増えています。しかしながら,各観光地や被災地では,英語を話せる人材不足に悩んでいる実情があります。これからの国際化社会を生きていく子ども達には,せめて母国日本の文化や自然環境,歴史などについて説明できるくらいの英語力が求められると考えています。
 


 最後にひとつ事例をご紹介します。私が「東日本大震災」の復興支援に行ったとき,アメリカから1人で来たという壮年の男性が「Is there anybody who can speak English?」といって人を探していたので,私が説明した概要です。一部は英語を専門職にしている知人に添削してもらいました。このくらいの英語が高校を卒業するまでに話せるといいですね。


The explanation of Great East Japan Earthquake
On March 11, 2011, at 2:46pm, there was the Pacific coast of Tohoku Earthquake. (Great East Japan Earthquake.)
It was magnitude 9.0. It was a massive earthquake. 
In northern Miyagi Prefecture, the seismic intensity was 7.0.
For about 6 minutes, all of Japan shook greatly. It did enormous damage everywhere.
The tsunami was over 40.5 meters high, and flooded up to 5.4 kilometers inland.
Nearly 20,000 people lost their lives.
To teach about this tragedy, and as a lesson for the future generations,We pray for happiness in the next world for those who were lost in the Great East Japan Earthquake, and also pray for the quick reconstruction of the disaster areas, with Grand Harmony of Nature.


訳)2011年3月11日午後2時46分に起きた“東北地方太平洋沖地震”はマグニチュード9.0という超巨大地震でした。宮城県北部では,最大震度7を観測し,その揺れは約6分間にわたって日本全土を揺らし,各地に甚大な被害をもたらしました。また,その地震に伴って発生した津波は想定を遙かに超える規模で,最大遡上高40.5m,内陸への浸水最大5.4kmを記録し,2万人近くの尊い人命を奪いました。その悲劇と教訓を将来に伝えるために“東日本大震災”で亡くなられた方々のご冥福を祈るとともに,被災地の1日も早い復興を祈ります。自然との大調和と共に。

2014年10月7日火曜日

「めんどくさいことに価値がある」ことを教える

小学校教諭のY・Sです。

 近頃の子どもはすぐに「めんどくさい」とか,「意味がない」といって嫌なことから逃げようとするとよく聞きます。しかし,本当に子どもだけでしょうか。もしかしたら,私たち大人が「面倒くさいこと」や「嫌なこと」から逃げているのではないでしょうか。
 私はかつて,社会科の「ごみの処理とゆくえ」の授業の中でこんな話を子ども達としたことがあります。授業のねらいは,『ごみの処理について関心をもち,身近な事象を通じてごみ処理と自分とのかかわりについて考えさせる』です。 *Tは教師(私),Sは子どもの発言 *教師の発問・受け答えには“カウンセリング的受容”の手法を意識しております。




 T:「みなさんは,ごみを捨てるのを面倒くさいと思ったことがありますか?」
 S:「ありません。」
 T:「ええ~!本当にないのですか?!それでは,掃除は面倒くさくありませんか?」
 S:「・・・・。」
 T:「実は先生も掃除をしなくてもいいなら“ラッキー”と思います。」
 S:「確かに,それはそうだけど。」
 T:「じゃあ,ごみを捨てるのも面倒くさいのではないですか。掃除だけじゃなくその     
辺に落ちているごみだって,自分が捨てたものでなければ拾って捨てたりしない                      でしょう?」
 S:「そういえばそうだ。」「私は○○君の落とした消しカスを拾ってあげたことがあります。」
 T:「おお,それは偉いね。他に自分が落としたものではないごみを拾って捨てたことがある人。」
 S:「はい,あります。」 *4~5人の子どもが手を挙げる。
 T:「すばらしい!それはとてもいいことだと思うよ。これからは“ごみを捨てる人”でなく“ご   みを進んで拾う人になろうね。」
 C:「はい。でも先生,よくコンビニのごみ箱にたくさんごみを捨てる人を見ますよ。」
 T:「よく見てるね。先生もそのような人を時々見かけるよ。みんなはどう思う?」
 C:「みっともないと思います。」「大人として最低。」「自分勝手で許せない!」
 T:「うん,先生もそう思う。でもいちいちそれを注意して嫌な気分になるのも損だ ね。」
 C:「そう,逆ギレされると怖いしね。」
 T:「その通りかもね。じゃあどうする?」
 C:「自分が手本を見せればいいんじゃない?」 *拍手が起こる
 
 


 こんなやりとりを20分ほどして,結局子ども達は「ごみは捨てることより拾うことに価値がある」という新しい“生き方”に気付きました。
 生長の家総裁,谷口 雅宣先生はその著書「次世代への決断」で次のように教えてくださっております。
   “めんどくさい”ことに価値がある「There is value what is t roublesome”」
 ごみの問題に限らず,私たちの生活の中で“めんどうくさいこと”の中に喜びと価値を見出すことは自分を鍛え,同時に未来への希望をもつひとつの大事な教育であると思います。

2014年9月13日土曜日

子どもに厳しく指導「鉄槌を下す」とき

小学校教諭のY・Sです。

「日時計主義の教育」を実践している先生方も,時には児童生徒を厳しく叱ることもあるかと思います。もちろん体罰はいけませんが,いわゆる「鉄槌」を下すのはどんな場面でしょうか。

 私は「やればできるのに怠けてしないとき」に鉄槌を下します。例えば,鉛筆を正しく持って丁寧な字を書こうと思えば書けるのに,いい加減な文字を書いているときなどは,

「○○!もっとうまく書けるはずだ!も一度書き直して。」と少し厳しい口調で諭します。また,近頃の子どもがよく言う「めんどくさい」という言葉も黙認しません。「面倒くさいことから逃げていては,何もできるようにはならないんだ!」と,つい語調を荒げてしまうこともあります。そう子どもには言うものの,(自分は面倒なことや苦手なことから逃げてはいないのか?)と自己反省することもあります。ですから,最近は「1日1回,面倒なことか苦手だと思うことを我慢してやってみよう。その代わり先生も面倒くさがったりしないから。」と,子ども達と約束することにしています。すると子ども達は厳しい目で私を見ます。「あ,先生,黒板の字間違ったのに面倒がって手で消したね。」「そうだ最初から書き直し!」などと。さすがにこれはムカッとする場面もありますが,「そうだね。面倒くさがらないという約束をしたね。ゴメン!。」といってやり直します。それを繰り返していくうちに,子ども達も「めんどうなこと」「苦手だと思うこと」に積極的に立ち向かうようになります。ちなみに,鉛筆の正しい持ち方やひらがなの正しい字形は,入社試験・就職試験,入学試験などでも最近は厳しくチェックされるそうです。

  生長の家創始者,谷口雅春先生は,その主著「生命の実相」で次のように説かれています。

 『かつて私は,数ヶ月の慢性胃腸病の児童を「お腹が痛い痛いというときは天井から吊り下げて棒で擲(なぐ)んなさい。このお子さんは病気ではないのに同情を求めて。潜在意識が病気を仮作(けさ)してるのですから。同情を求めたらかえって不結果になるということを知らしたら治るのです」と,その子供の目の前で叱責したために,その日からその児童の慢性胃腸病が治った実例をお話したことがあります。 ー中略ー 光明思想は感傷主義のいわゆる慈善主義ではありません。仮相(かそう)の人間の弱々しさに同情して,その弱々しさをますますのさばらせはびこらせるような救済事業ではありません。光明思想とは生命本然の力の教育であります。』

 「生命の実相第25巻 教育実践篇163頁」より抜粋 

 注:()内の「かな」はY・S 「光明思想」とは,今でいう「日時計主義」と同意

2014年8月1日金曜日

「元気な教師」でいるために

小学校教諭のY・Sです。
 夏休みも三分の一が過ぎました。そろそろ1日くらい休みをとって家族サービスや普段やりたくてもできなかったことに時間をつかおうとしている先生方もおられるかと思います。世間では,「先生方は夏休みが多くていいですね。」などと皮肉を含んで言われることがあります。確かに週休二日が完全実施されるまでは,土曜日に出勤していた分の休暇のまとめ取りがあり,夏休みはけっこうありました。しかし,今はせいぜいお盆期間中に休めるくらいです。後は「年休(年次有給休暇)」で休んだり,早めに退勤したりします。夏休みは,子ども達が登校せず,授業はないので教材の準備や提出物のチェックなどの時間がない分,定刻に退庁(退勤)できます。
 では,授業のある日の先生方は何時頃退勤しているでしょうか?
 先日受けた研修会で,あるカウンセラー(臨床心理士・精神科医)の先生は,「できる教師ほど5時代には帰る」と話されていました。「そんな時刻に帰れるはずはないでしょう!」と多くの先生方は反論されるでしょう。特に中学校は「部活」指導があり,6時半ころそれが終わってから,学年会や授業の準備だから毎日9時・10時が退勤時刻という現実があることは承知しています。私個人の意見としては,「部活廃止」なのですが,エネルギーが有り余っている思春期の生徒達にとって,部活は必要なことで,問題行動の発生を少なくする効果があることも分かっています。でも,せめて7時には退勤できるように工夫できないでしょうか?先生が毎日9時,10時に帰宅して,くたくたになって帰り,家族との会話が減ったり,ストレスを家族にぶつけたりして,果たして「よい仕事」ができるのかどうか。「元気な教師」で心に余裕をもって子ども達とかかわれば,もっとよい指導が能率的にできると思いませんか?
 「忙しい」とは「心」を「亡くす」と書きます。先生がくたびれて「忙殺」されていて,子ども達によい影響を与えられますか?ちなみに私は平均して17:30には退庁します。早いときは退庁時刻の16:45にさっさと帰ることもあります。だからといって仕事が溜まることも,手抜きをすることもありません。いや,却って「よい仕事」をしていると自負しています。
 仕事は「質と量」で測られるといいますが,教師の仕事は「質」だと思います。「質」より「量」を尊んだ思想は「唯物論」です。だからでしょうか,たいして中身の無い仕事をだらだらと遅くまで,しかも子どもや保護者,同僚の悪口を話題にしながら職員室の明かりを皓々と点けながら学校に残っている先生は周りにおりませんか?電気などのエネルギーの無駄遣いですよね。それならば早く家に帰って,家族と団欒する時間をつくれば,翌日の英気を養え,仕事もはかどると思いませんか?
 「そんなこと言ったら今の仕事量をこなせないです!」と仰るならば,それもまた古い「唯物論」の呪縛にかかっているのではないでしょうか?
 では,仕事を楽しく集中して三分の一以下でできるようになるための方法を次回はご紹介したいと思います。

2014年7月27日日曜日

発達障害も「無い!」

小学校教諭のY・Sです。
 日本中の学校は既に夏休みに入りましたね。児童・生徒は夏休みですが,私たち教員は毎日暑い中,研修会・事務処理・出張・備品整理等授業日にはできない仕事に精を出しています。
 さて,先日「発達障害」についての研修を受けてきました。その中で,主に「ADHD」(注意欠陥多動性症候群),「軽度自閉症」のチェックポイントまとめて見ました。自分が当てはまると思った項目に迷わず○をつけてみてください。


 1   時間・空間の中で作業の見通しが立てられない
 2  忘れ物が多い (物,宿題,約束等)
 3  落ち着きがない(手足をいつも動かす,机をガタガタさせる)
 4  いつも身の周りが散らかっているが,片付けることができない
 5  衝動的で,おもしろそうなものに突進する
 6 「よく考えてから動け」とよく注意される
 7  わかっていることだけど止めることができない
 8  話し出すと止まらない
 9  しゃべってはいけない場面でも,ついしゃべってしまう
10  興奮しやすい(キレやすい)
11  忠告を聞き入れない
12  人と同じ行動ができない
13  運動会や学芸会などの練習に参加できない
14  予定の変更があると混乱する                                                                      15 苦手なことがあるとフリーズ(固まって)しまう
私も自己診断をしてみましたが,結果は軽度の「ADHD」でした。といっても心配はありません。それは人間の性格として誰もがもっているもので,決して「障害」ではなく,ある面,「個性」と捉えるべきものである,と講師の先生が話しておりました。しかし,全項目が当てはまる方は,念のため医療機関に受診することをお勧めします。とも冗談混じりに話しておりました。
 今は,発達障害に対応する様々な支援方法が確立されていますので,たとえ子どもがそう診断されても安心して専門の先生や教育,医療機関」に相談されれば,適切な学習支援が受けられます。
 そして,何よりも「現象に現れた悪しき状態は無い!」と見るのが最もよい対処方法です。子どもの「悪しき状態」発達障害や学習障害は「非存在であるから必ず消える」と信じて対応すれば,適当な処置や対処方法が自然にできるのです。それには子どもの「神の子」なる完全な姿を常に祈ることが最も大切であると私たちは教えられています。
 祈りによって子どもの悪しき現象を癒やすのではなく,「子どもを観る自分の心の目を癒やす」のです。

 

2014年6月27日金曜日

「トップ」も認める「宗教的情操教育」の必要性

小学校教諭のY・Sです。
 先日,研修会で講話をいただいた文部科学省の先生にメールを送ったところ翌日,すぐに返信が届きました。以下は私が送ったメールの概略とその先生から届いた返信文です。


  
 本日は研修会において,親しくご指導いただきましてありがとうございました。大変勉強になり,有意義な研修ができました。また,帰りの電車内でお話をさせていただきまして嬉しく光栄に思っております。先生が講話の最後に話された,「崇高で普遍的なもの(神的なもの)がベースにないと教育は難しい」とのニュアンスから,日本の教育にも「宗教的情操教育」が必要な時代が来ていることをあらためて認識いたしました。もちろん,現憲法・教育基本法下で はその実現は難しいことですが,教師個人の教育観・人間観のベースには必要なことと私は考えております。 先生のお考えをお聞かせ願えれば幸いです。 Y・S拝
 

 
 メール拝受いたしました。人が幸福に生きるためにはどのような形であれ大いなるものとのつながりが大切であるとの研究が知られています私自身は日本人の道徳性は高い宗教性がバックボーンにあってのことであると考えております。社会全体が消費社会化し宗教的情操が弱まることに強い危機感を抱いているのですが、我が国はこれまで政治的中立性と宗教的中立性をとても大切にしてまいりました。私にとっては大きな課題です。            ー文部科学省初等中等教育局教育課程課 教科調査官 S・K拝ー       *太字強調はY・S
教育行政のトップにいる方が,宗教的情操教育について前向きな考えでおられることに安堵感と自信をもてた出会いでした。
 

2014年6月23日月曜日

ちょっと「観方,言い方」を換えてみるだけで・・・。

小学校教諭のY・Sです。
今日は子どもに対する「観方(この子はこうだという主観的捉え方),言い方(声がけ)」」について考えてみます。ちょっと換えてみるだけで,子どもも教師も気持ちが明るくなり,学校が楽しくなります。以下は私が「学級懇談会」で保護者に配布した資料をまとめたものです。保護者のみなさんには,大受けでしたが,真摯に受け止めてもらえました。



                         チクッと言葉とふわっっと言葉
・なにやってんだ!→・大丈夫だよ
・お前のせいだ!→・気にしないでね
・あ~あせっかく楽しみにしてたのに→・次があるよ
・あ,こぼした!→・一緒に片付けよう
・まぬけ!→・大失敗しないでよかったね
・うるさい!→教えてくれてありがとう
                                  観方を変える
・落ち着きが無い→・活動的・活発
・注意が映りやすい→・好奇心が旺盛
・興味の幅が狭い→・探究心がある
・物をよくなくす→・物やお金に執着しない
・しつこい→・ねばり強い
・幼稚→・子供らしい
・単純→・裏表がない


                            「気をつけたい声かけ」
!  質問風の責め
 「何回言われたら分かるの?!」「どうしてそういうことをするの?」
   子供:「こたえられんわい。」

! 漠然とした指示
 「こら,ちゃんとしろ!」
   子供:「何をどのように?」

! 過去のことを持ち出す
 「この前だって,お前・・・!」
  子供:「しつこいんだよ。」

! 脅す
 「休み時間がなくなるぞ!」
  子供:「校長先生に言うぞ!」※休み時間は子供にも保障されています。

! 禁止
 「はさみを持って走るな!」
  子供:「びっくりして転んだらどうするの?」
             
! 複数で長時間のお説教
 「~して,次は~するんだよ。それから次には~に気をつけて。最後にちゃんと~をしてから   席に着け!」
  子供:「何を第一に聞けばいいの?」
   
*これらをちょっと観方,言い方を換えた声がけに転換すると,一言で済みます。
さて,読者のみなさん,どう言いますか?模範回答はコメントにて。