2013年9月8日日曜日

「聖職者」を実感させられた“あの日”

小学校教諭のY・Sです。
教師は「聖職者」だと自覚しながら教壇に立たれている先生方がどれだけいらっしゃるか分かりませんが,私は少なくとも「聖職者たれ!」と自分に言い聞かせながら教師を続けてきたつもりでした。もちろん私自身,聖人・君子でもありませんし,周りの誰もそう思っていませんが。でも,それをめざしたいとは常に思っていました。しかし,“あの日”…。

平成23年3月11日
 私の居住地・勤務地とも東北地方の太平洋側内陸部にあります。あの日の午後2時46分。低学年を担任していた私はほんの5分前に子供たちを下校させ,まだ教室に残っていた子供たちといました。トイレに行った児童を教室の机の下にもぐらせたと同時に激しい揺れと校舎の軋む嫌な音が聞こえ,立っていることはできなくなりました。私は必死に子供たちに「大丈夫だから落ち着け!」と自分に言い聞かせるように繰り返していました。とても長く感じる1分ほどが過ぎて揺れがやや弱まり,校庭に避難しようとしたその時,大きな地鳴りとともに猛烈な揺れがきて,最後まで落ちずに踏んばっていた底の広い花瓶が落ちて割れる音がしました。「なんだこれは!校舎が倒壊する!」そう思った時私はおもわず子供の机を揺れないようにしっかり押さえていました。「この子たちは俺が命をかけても守る!」頭に浮かんだのはその言葉でした。“殉職”という文字も脳裏をよぎった後,家族の顔が浮かんできて,ようやく冷静に周囲の状況を把握できるようになったとき揺れも収まってきて校庭に避難することができました。校庭にはすでに多くの子供たちが避難し,女児の中には大声で泣いている子もいましたが,それをなだめる気持ちにはなれませんでした。校庭もまだ立っているのがやっとなほど揺れていて,一部地割れがしているのを目の当たりにしてしまったからです。
 

 あのとき,思わず「命をかけても子供たちを守る!」という気持ちが起こり,体中にビリビリと電気が走った瞬間を今でも鮮明に覚えています。そしてわたしは初めて「教師という仕事はやはり“聖職”なんだ。」との実感をさせられた思いがしました。同時に「自分にもそれをめざす資格はあるようだ。」との自覚と自信をを得ることができました。
幸い私の勤務校の子供たちと職員,家族はみな無事でした。

 『東日本大震災』からもうすぐ2年半が過ぎます。亡くなられた方々のご冥福と被災地の1日も早い復興を祈りつつ。

1 件のコメント :

  1. 体をはって子供たちをよく護ってくれました。思わず、頭がさがりました。
    本当にありがとうございます。

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