2013年12月29日日曜日

学問とは“道”を求めること

 
 平成25年(2013年)がもうすぐ終わろうとしています。今年も次世代を担う子供たちの育成,教育に尽力された方々本当にお疲れ様でした。今年の締め括りとして学問(学ぶ)ということについて雑感を綴ってみたいと思います。
 

 本来学問とは“道を求める心”で昔は命懸けのことであったようです。禅宗第二祖の恵可禅師(達磨大師の弟子)は,入門を断られ雪の中で何日も待った挙げ句,臂を切断して達磨大師に差し出し,ようやく入門を認められたといいます。有名な「恵可断臂(えかだんぴ)」の逸話です。
 そこまでする人は現代にはいないし,同じようなことを師(先生)が求めたら今ならいじめどころではなく裁判沙汰になるでしょう。しかし,本当のことを知りたければ,自分の体ははどうなってもいいという古人の姿勢には頭が下がります。精神力は肉体を超えるのかも知れません。
 

 また,お正月には初詣をしますが,今年は御利益を求める前に,本当のことを追求する心,他人の幸福,社会の安定,人類の未来について真剣に祈り,考えてみてはどうでしょうか。そういう生活をしていると喫緊の些末な悩みなどは知らぬうちに消えてしまうものだと思います。まさに聖書の「先ず,神の国と神の義とを求めよ。その余のものは汝らに加えらるべし」という聖句は真理であると思います。
 
 

 とはいえ,人はどんなに頑張っていても,スランプみたいなものがやって来る時があります。誰もがその時に気落ちしたり,自暴自棄になったり,病気にもなったりします。そんな時はどうしたらいいか・・・。無茶をしないで,普段出来ない事や普段出来ない書物を読んだりして,それこそ“道”を求めてみたらどうでしょうか。
 もっともっと深い勉強,真理の探究,自分を見つめ直す静かな時間。年末年始はそんなよい機会ではないでしょうか。
 最後に私の好きな句をご紹介して今年を締め括らせていただきます。
 読者のみなさんどうぞよいお年をお迎えください。
   「徒に 過ごす月日は多けれど 道を求むる 時ぞ少なき」 ー道元禅師ー

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