2014年1月31日金曜日

「先生」であることの「畏れ」

小学校教諭のY・Sです。

今日は10年ほど前のある朝の教室でのことを思い出して書きます。

 ある日,漢字練習の宿題をなかなか出さない女の子がいました。いつも忘れずに出す子なのにおかしいなと思って,「○○さん,宿題まだ出てないんだけど・・・。」と声をかけると,「途中までなので・・・。」という元気のない応えが。「途中でもいいから出して。」と言うと,その子は,伏し目がちに恐る恐るノートを持ってきました。途中までといっても,四分の一くらいしかやっていないノートを見て,訳を聞き,理由次第では叱らなければと思った瞬間,ふと「うん,よくやってきたね!字もきれいだ。」と声をかけました。それを聞いてやっと気持ちが和らいだのか,その子がにこっと笑顔を見せたとき,私はあることに気がついてこう語りかけました。
「お母さんが入院していて大変だね。弟さんや妹さんのお世話をしながらよくがんばってこれだけ書いてきたね。偉いぞ!」と。そのとたん,いきなり大粒の涙を流してその子は泣き出してしまいました。
 次の日,その子は宿題をきちんと最後までやってきました。

 もし,あの時その子の家庭の事情に気付かず叱ってしまっていたら,心に大きな傷をつけてしまったかも知れません。
 

 「先生」という仕事はほんとに「畏れ」多い仕事です。

2 件のコメント :

  1. ほんとうにそうですね。子供は先生から言われたことを意外と覚えているものですから。その生徒さんを救われたのはYSさんの言葉です。言葉は大切で、私適切な言葉を使いたいと思っていますが、これが難しいのです。

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  2. 福島県S.N2014年3月4日 22:47

    素晴らしい体験談を感謝致します。感動致しました。私自身もよく相手の事情を考えずに「嫌われたかな?」などど取り越し苦労、心配をしてしまうことがよくあります。しかしあとできいてみると様々な事情があったのです。Y.Sせんせいの様に、1呼吸おいて考えることのできる人間に自分もなりたいと思います。

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