2014年4月5日土曜日

「生命を尊重する」教育をー“天使の声”から学ぶことー

小学校教諭のY・Sです。


 平成26年度がスタートしました。新年度の立ち上げは大変ですが、新しい出会いがある4月です。今年度もよろしくお願いします。
 新年度最初の記事はかなり重い内容です。学校は、子ども達にとって「安全・安心」な場所でなければならないことをあらためて振り返り、「生命を尊重する」教育を強く推進してほしいと願う気持ちから・・・。
 以下は「埼玉県教育委員会」が2012年に作成した道徳副読本からの抜粋です。


 誰にも気さくに接し、職場の仲間からは「Mさん」と慕われていた。その名には、未来に希望をもって生きてほしいと親の願いが込められていた。Mさんは、地元で就職を望む両親の思いをくみ、4年前に今の職場に就いた。(2011年)9月には結婚式を挙げる予定であった。突然、ドドーンという地響きとともに庁舎の天井が右に左に大きく揺れ始め、棚の書類が一斉に落ちた。「地震だ!」誰もが飛ばされまいと必死に机にしがみついた。かつて誰も経験したことのない強い揺れであった。Mさんは、「すぐ放送を」と思った。はやる気持ちを抑え、Mさんは2階にある放送室に駆け込んだ。防災対策庁舎の危機管理課で防災無線を担当していた。「大津波警報が発令されました。町民の皆さんは早く、早く高台に避難してください」。Mさんは、同僚のEさんと交代しながら祈る思いで放送をし続けた。地震が発生して20分、すでに屋上には30人ほどの職員が上がっていた。すると突然かん高い声がした。「潮が引き始めたぞぉー」午後3時15分、屋上から「津波が来たぞぉー」という叫び声が聞こえた。Mさんは両手でマイクを握りしめて立ち上がった。そして、必死の思いで言い続けた。「大きい津波がきています。早く、早く、早く高台に逃げてください。早く高台に逃げてください」。重なり合う2人の声が絶叫の声と変わっていた。  津波はみるみるうちに黒くその姿を変え、グウォーンと不気味な音を立てながら、すさまじい勢いで防潮水門を軽々超えてきた。容赦なく町をのみ込んでいく。信じられない光景であった。Mさんをはじめ、職員は一斉に席を立ち、屋上に続く外階段を駆け上がった。その時、「きたぞぉー、絶対に手を離すな」という野太い声が聞こえてきた。津波は、庁舎の屋上をも一気に襲いかかってきた。それは一瞬の出来事であった。「おーい、大丈夫かぁー」「あぁー、あー…」。力のない声が聞こえた。30人ほどいた職員の数は、わずか10人であった。しかしそこにMさんの姿は消えていた。
  それを伝え知った母親のE子さんは、いつ娘が帰ってきてもいいようにとMさんの部屋を片づけ、待ち続けていた。Mさんの遺体が見つかったのは、それから43日目の4月23日のことであった。町民約1万7700人のうち、半数近くが避難して命拾いをした。5月4日、しめやかに葬儀が行われた。会場に駆けつけた町民は口々に「あの時の女性の声で無我夢中で高台に逃げた。あの放送がなければ今ごろは自分は生きていなかっただろう」と、涙を流しながら写真に手を合わせた。
  変わり果てた娘を前に両親は、無念さを押し殺しながら「生きていてほしかった。本当にご苦労様。ありがとう」とつぶやいた。出棺の時、雨も降っていないのに、西の空にひとすじの虹が出た。Mさんの声は「天使の声」として町民の心に深く刻まれている。
読者のみなさんが授業をするとしたら、どの内容項目でこの教材文を扱うでしょうか?私は4つの主な内容項目すべてで扱えると思いますが、中心価値は「生命尊重」であると考えます。読者のみなさんのご意見を聞かせてください。
 もう一度記します。「学校は安全・安心で生命を尊重するところである」と。Mさんのご冥福を祈ります。


 
 
 


 付記:埼玉県道徳副読本へのリンクはこちらです。
http://www.pref.saitama.lg.jp/uploaded/attachment/534944.pdf

2 件のコメント :

  1. 自分のことより他の人を優先して、それを最後まで貫かれた方です。自分に出来るかと言うと、簡単ではないと、思います。

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  2. 匿名さん,コメントありがとうございます。
    私も地震発生時,目の前にいる児童を守ることしか考えられませんでした。家族の顔が浮かんだのはその後,子ども達全員の安否が確認できてからです。人間ってそういう生きものなのかも知れません。「他者を思いはかること,地上の生物随一なり」
    でも,やはり自分も助からなければいけない。これからの防災はそうあるべきです。
    先日,Mさんのご自宅にうかがい,お母様に会い,故人の仏前にようやく手を合わせることができました。ー合掌ー

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