2014年1月4日土曜日

子どもを「良くしてはいけない?」


 私がまだ新米教師の頃,ある先輩の先生から「子どもをよくしようとしてはダメだぞ。」という助言を受けて考え込んだことがあります。私たち教師の仕事は子どもたちを“心身共に健康”に成長させることなのに…?そのとき私は変な猜疑心を抱きました。
 

 学校を単位とする教育界も大きな組織です。組織には当然規則・規範がありますが,いわゆる“不文律”も存在します。学校にもそんな不文律があるのだろうか?事実,「自分の学級は,1年間,問題なく普通に無難に過ごして次の学年の担任に引き継げばいい」そう割り切っている先生もいないわけではありません。でも,「私にはそんな“器用なこと”はできないなぁ。」としばらく悩みました。また,子どもたちに“日本人としての誇り”をもたせることをタブーとする「せんせいたち」がいることも否めません。
 

 それでも,私は自分の信念を貫いて精一杯子どもたちと向き合ってきました。時には,「Y先生のクラスの子どもたちはどうしていつも立派なの?」とか「Y先生が受け持つと問題児が問題児でなくなるのはどうしてかな?」などという嬉しい噂をされたこともあります。ある年などは,学級崩壊したクラスを引き継ぎ,1ヶ月ほどで“普通”の学級にしてしまったために,前年度の担任から嫉妬されたこともありました。「やはり普通に,無難に子どもたちと接するのがいいのかなぁ。」そう思ってスランプに陥ったこともありました。
 
 

 ところがあるとき,私が教師になってからずっと続けてきたことが,その先輩の先生の言葉の真意だったことに気付きました。確かに「子どもをよくしようとしてはダメ」なのです。「子どもは既によい」のです。それを心の底から信じるのが教師の役目であり,同時に自らの研修なのです。教育とは何とすばらしく尊い仕事なのかをあらためて自覚した瞬間でした。
 
 

 次回は私が教師になってからずっと続けてきた子どもを既によいと信じることのできる「奥義」を披露したいと思います。お楽しみに!

3 件のコメント :

  1.  先生のブログ、拝見しました。確かに日本人は「性悪説」を誇りとする面がありますが、全ての人間には「良い面」が沢山隠れているものですね。純粋な子どもたちなら尚更です。
     先生はその「良い面」に着眼し、教育されてきたのでしょう。例えば「君のこういうところはすばらしいよ。でもこの部分を改めたら、更によくなるよ。」というような指導をされているのでしょう。大人でも自分を理解されれば嬉しく、その上での忠告なら「よし!できるだけ努力しよう!」となるのは当然です。日本という形式を重んじる国の中に、あなた様のような先生がいることを嬉しくおもいます。
     ただ単に、現代の教育や社会を批判するだけの学園ドラマが流行った時代もありました。しかし先生は反対や批判でなく、良さを引き出す教育をされています。子どもたちが次々とよくなっていくのは当然でしょう。
     どうか、これからも子どもたちの良さをさらに伸ばしこの社会にも希望の光を与えてくださるようお願いいたします。

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    1. コメントありがとうございます。察するに,あなた様も教育関係のお仕事をされている方のようです。それもかなり優秀な教育者とお見受け致します。今後ともどうぞよろしくお願いします。

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    2. やはりベテランの先生の中には、とても示唆的な言葉を発する方がおられるのですね。「よくしようとしてはダメ」とは、まったく生長の家の教育そのものです。それを信じ切る奥義をぜひ、ご紹介下さい。

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