2014年10月7日火曜日

「めんどくさいことに価値がある」ことを教える

小学校教諭のY・Sです。

 近頃の子どもはすぐに「めんどくさい」とか,「意味がない」といって嫌なことから逃げようとするとよく聞きます。しかし,本当に子どもだけでしょうか。もしかしたら,私たち大人が「面倒くさいこと」や「嫌なこと」から逃げているのではないでしょうか。
 私はかつて,社会科の「ごみの処理とゆくえ」の授業の中でこんな話を子ども達としたことがあります。授業のねらいは,『ごみの処理について関心をもち,身近な事象を通じてごみ処理と自分とのかかわりについて考えさせる』です。 *Tは教師(私),Sは子どもの発言 *教師の発問・受け答えには“カウンセリング的受容”の手法を意識しております。




 T:「みなさんは,ごみを捨てるのを面倒くさいと思ったことがありますか?」
 S:「ありません。」
 T:「ええ~!本当にないのですか?!それでは,掃除は面倒くさくありませんか?」
 S:「・・・・。」
 T:「実は先生も掃除をしなくてもいいなら“ラッキー”と思います。」
 S:「確かに,それはそうだけど。」
 T:「じゃあ,ごみを捨てるのも面倒くさいのではないですか。掃除だけじゃなくその     
辺に落ちているごみだって,自分が捨てたものでなければ拾って捨てたりしない                      でしょう?」
 S:「そういえばそうだ。」「私は○○君の落とした消しカスを拾ってあげたことがあります。」
 T:「おお,それは偉いね。他に自分が落としたものではないごみを拾って捨てたことがある人。」
 S:「はい,あります。」 *4~5人の子どもが手を挙げる。
 T:「すばらしい!それはとてもいいことだと思うよ。これからは“ごみを捨てる人”でなく“ご   みを進んで拾う人になろうね。」
 C:「はい。でも先生,よくコンビニのごみ箱にたくさんごみを捨てる人を見ますよ。」
 T:「よく見てるね。先生もそのような人を時々見かけるよ。みんなはどう思う?」
 C:「みっともないと思います。」「大人として最低。」「自分勝手で許せない!」
 T:「うん,先生もそう思う。でもいちいちそれを注意して嫌な気分になるのも損だ ね。」
 C:「そう,逆ギレされると怖いしね。」
 T:「その通りかもね。じゃあどうする?」
 C:「自分が手本を見せればいいんじゃない?」 *拍手が起こる
 
 


 こんなやりとりを20分ほどして,結局子ども達は「ごみは捨てることより拾うことに価値がある」という新しい“生き方”に気付きました。
 生長の家総裁,谷口 雅宣先生はその著書「次世代への決断」で次のように教えてくださっております。
   “めんどくさい”ことに価値がある「There is value what is t roublesome”」
 ごみの問題に限らず,私たちの生活の中で“めんどうくさいこと”の中に喜びと価値を見出すことは自分を鍛え,同時に未来への希望をもつひとつの大事な教育であると思います。

2 件のコメント :

  1. めんどくさいけど、大切なことはたくさんあります。例えば挨拶とか、ちょつとした声かけとか。メールを出すことなどもそうですね。でも、ちゃんとやると、その後の展開がスムースになるんです。やっぱりめんどくさいことから逃げてはいけませんね。

    返信削除
    返信
    1. 山本さん,いつもコメントありがとうございます。
      子ども達はちゃんと正しいことを知っています。その実践力を育てるのが指導者の役目です。

      削除