小学校教諭のY・Sです。
今日はたった1時間の道徳の授業で,荒れた学級の雰囲気が変わってしまった体験をご紹介します。
10年ほど前,私はその学級を受け持ちました。1人の“問題児”の対応に追われて学級が崩壊寸前の状態でした。新学年が始まって2ヶ月ほどでその“問題児”は“優良児”になりましたが,その経緯はまたいつかの機会にご紹介します。学級の雰囲気はまだ少し荒れていたころ実践したのが「いのちのまつり」という題材の道徳の授業でした。主題は3-(1)「生命の尊さを感じ取り,生命あるものを大切にする」で,沖縄の「ヌチヌグスージ」という言い伝えを教材にしたものです。
主人公のコウちゃんはおばあちゃんからご先祖様についてお話を聞きます。
・自分にいのちをくれたのがお父さん,お母さんだから,1×2=2
・お父さん,お母さんにもお父さんお母さんがいるので,2×2=4
(おじいちゃん,おばあちゃん)
・おじいちゃんとおばばちゃんにもいのちをくれた,ひいおじいちゃん,ひいおばあちゃんの人数は,
4×2=8
・そのまた上に2人ずついるので,8×2=16 そのまた上に2人ずついるので,16×2=32
32×2=64,64×2= ・・・・・・,
コウちゃんの頭の中には何百,何千というご先祖様が浮かびます。その内の1人でもいなかったら,自分はこの世に存在していないのです。なんという奇跡でしょう。
そこで私は子供たちに次のような問題を出して見ました。
◎ いのちを木にたとえると,葉や花や実は(みんな)
えだは( , )
みきは( , )
根 は ( )
土(大地)は( )
さて読者の皆様は括弧にどんな言葉を入れますか?子供たちは見事に“正解”しました。
その翌日から,「先生,ご先祖様にありがとうと言ってチィ~ン(仏壇のお鈴の音)したよ。」「お父さんとお母さんにありがとうと言えたよ。」といった感想が続々と聞かれるようになり,学級の雰囲気が次第に温かくなってきました。そうです,子供たちは命の尊さを本当は魂で知っているのです。それを引き出すのも教師の役目。道徳の時間はそのための貴重な時間です。最後に問題の答えを記しておきます。
◎ いのちを木にたとえると,葉や花や実は(みんな)
えだは(お父さん,お母さん)
みきは(おじいちゃん,おばあちゃん)
根 は (ご先祖様)
土(大地)は(神様)
このブログは、保育・幼稚園、小学、中学、高校、大学、学習塾で、子どもの可能性 を認め、引き出す教育を実践している7名の教育関係者によるブログです。それぞれ の成功や失敗の事例を交えながら、教育課題の解決方法を分かりやすくつづっていきます。
2013年10月12日土曜日
2013年10月6日日曜日
脱いじめ問題 - こうすれば指導できる -
高校教諭のK.Oです。
いじめも自然破壊も根は同じ
しずかに「大自然讃歌」を拝読しているときに、ふと思いついたことがありました。いじめも自然破壊もその原因、根は同じではないか。いじめは自分や自分たちのグループさえよければよいと、弱いものを虐げる、エゴ。自然破壊は人間さえよければ、他の動植物・鉱物はどうなってもよいという、また次の世代に核の廃棄物を残しても平気でいる、エゴ。そう感じたのです。子供たちは大人の自然破壊をしてきた後ろ姿を、また自己本位の部分を見ているのでしょう。すべては私たち大人の責任です。
「大自然讃歌」(谷口雅宣先生著)33~34ページには、
されば仏道にて
「四無量心(*)これ菩薩の浄土なり」と説くに非ずや。
イエス・キリストも
「いと小さき者の一人に為したるは、
即ち我に為したるなり」と教え給う。
この自他一体の想いこそ
人の人たる所以なり。
四無量心は神の愛にして、
“人間・神の子”の証なり。
四無量心を自然界や教育(教え子や先生方)へ実践し、神の愛を与えることが私達の使命です。このとき生かし合いの美しい自然にもどり、教育では仲の良いクラスに、生き生きと明るい学校に生まれ変わります。
生徒の実相を祈りましょう
かつて新1年生のホームルーム担任をしたときのことです。入学式の日に、担任するホームルームの生徒35人、一人一人全員と握手をして言葉を交わしました。強く握りかえしてくる子供、遠慮深く軽く握る生徒等々さまざまでしたが、私自身は子供たちと、こころが一つにつながったような気がしました。生徒も同じような気持ちを持ってくれたものと思います。最近、“つながり”、“絆”という言葉が大切にされていますが、自らの愛情の表現から生まれものと考えます。
生徒の指導にあたり、まず一人一人の良いところを認めて、引き出すことを実践していきましょう。そのためには、生徒の実相を祈ることが最も肝要なことです。
生長の家総裁・谷口雅宣先生は、『生長の家ってどんな教え?――問答有用、生長の家講習会』の中で次のように説かれています。
本当にあるものは実相世界で、それはすでに完全円満なんだから、「偽象」に注目するのではなくて「真象」に注目していけば、それが徐々に表現されていく――そう考えます。人々の良い点や社会の良い方面に心を向けるのです。失敗しているところではなく、成功している点を認める。(同書、111ページ)
いじめ問題は必ず解決します。本来、子供たちは仲良しなのです。みんな仲の良い、明るいクラスを望んでいるのです。あなたのクラスもきっと、明るく元気な調和した学級になります。
K.O
* 四無量心とは、慈・悲・喜・捨の仏様の4つの無量の心のこと。
2013年9月10日火曜日
外見が変な学生にどう接するか?
大学教授のM. Y. です。
最近は、大学生でも髪の毛をいろんな色に染めたり、おかしなところにピアスをしたり、ズボンの位置が下がりすぎていてパンツが見えてしまっていたり(いわゆる見せパン!?)など、外見がチョット変な学生が増えてきましたよね…。
そんな学生には、一体どんな気持ちで接したら良いのでしょうか?
ここに参考になるエピソードがありますので、ご紹介します。生長の家の前総裁・谷口清超著『無駄なものは一つもないーー人生問答集』(日本教文社)の154頁以降に書かれている実話です。
愛知県に迫千代子さんという足の不自由な人がいました。生長の家の信徒の方で、杖で歩いている人です。
この人がある時電車に乗って、空いている席を見つけて腰を下ろしたら、そこに親分みたいな少年と子分みたいな少年がやってきて、「そこは俺の席だから、立て」と言って、そこへ腰掛けたのだそうです。
随分ひどい話に思えますが、この千代子さんは足が不自由であるにもかかわらず、少しも怒ることなく立ち上がって、彼らの頭を見た時、その15〜16歳くらいの少年の頭の毛が、鶏冠(とさか)みたいにカチカチに固めてあって、おまけに根っこの所から緑色と黄色できれいに染めてあって、それはそれは、すごかったのだそうです。
それを見た時にびっくりして、思わず「まあ!あなた達、自分で髪をセットなさったの? おばさんは、とてもこんなに立派にセット出来ないわ。あなた達は、とても手が器用なんだわ」と言って、それを賛嘆したというのです。
そうすると、最初はうるせえオバサンだなあというような顔をしていたらしいのですが、それからも親しく話しかけてあげていると、そのトサカ少年が「オバサン、座れよ」と言ってくれて、手提げを持ってくれて、横に座っていた子分が千代子さんの背中に手を廻して、彼女が腰掛けやすいように手伝ってくれたのだそうです。
そして、いよいよ千代子さんが降りる駅に着くと、千代子さんの手提げを持った親分が先頭に立って、次を千代子さんが行き、後ろに子分が付いて異様な光景で歩いて行くのを、たくさんの乗客が不思議そうに眺めていたというのです(笑)。
このように、たとえ見せかけはヘンチクリンな恰好をしていても、みな神性・仏性それ自体ですから、どこかにいい所が必ずあります。それを認めて褒めてあげると、心を開いてくれるのです。
ところで、その後、この親分・子分の少年二人は、この迫千代子さんの導きですばらしく更生していくことになるのですが、詳しくは『無駄なものは一つもない』をどうぞお読み下さい。
また、一見悪く見えることでも、観方を変えれば、その奥にある善性を認めることができることについては、生長の家創始者・谷口雅春著『生命の教育』(日本教文社)の「第三章 無軌道の教育法」に詳しく書かれていますので、ご一読をお勧めいたします。
大学教授 M. Y.
最近は、大学生でも髪の毛をいろんな色に染めたり、おかしなところにピアスをしたり、ズボンの位置が下がりすぎていてパンツが見えてしまっていたり(いわゆる見せパン!?)など、外見がチョット変な学生が増えてきましたよね…。
そんな学生には、一体どんな気持ちで接したら良いのでしょうか?
ここに参考になるエピソードがありますので、ご紹介します。生長の家の前総裁・谷口清超著『無駄なものは一つもないーー人生問答集』(日本教文社)の154頁以降に書かれている実話です。
愛知県に迫千代子さんという足の不自由な人がいました。生長の家の信徒の方で、杖で歩いている人です。
この人がある時電車に乗って、空いている席を見つけて腰を下ろしたら、そこに親分みたいな少年と子分みたいな少年がやってきて、「そこは俺の席だから、立て」と言って、そこへ腰掛けたのだそうです。
随分ひどい話に思えますが、この千代子さんは足が不自由であるにもかかわらず、少しも怒ることなく立ち上がって、彼らの頭を見た時、その15〜16歳くらいの少年の頭の毛が、鶏冠(とさか)みたいにカチカチに固めてあって、おまけに根っこの所から緑色と黄色できれいに染めてあって、それはそれは、すごかったのだそうです。
それを見た時にびっくりして、思わず「まあ!あなた達、自分で髪をセットなさったの? おばさんは、とてもこんなに立派にセット出来ないわ。あなた達は、とても手が器用なんだわ」と言って、それを賛嘆したというのです。
そうすると、最初はうるせえオバサンだなあというような顔をしていたらしいのですが、それからも親しく話しかけてあげていると、そのトサカ少年が「オバサン、座れよ」と言ってくれて、手提げを持ってくれて、横に座っていた子分が千代子さんの背中に手を廻して、彼女が腰掛けやすいように手伝ってくれたのだそうです。
そして、いよいよ千代子さんが降りる駅に着くと、千代子さんの手提げを持った親分が先頭に立って、次を千代子さんが行き、後ろに子分が付いて異様な光景で歩いて行くのを、たくさんの乗客が不思議そうに眺めていたというのです(笑)。
このように、たとえ見せかけはヘンチクリンな恰好をしていても、みな神性・仏性それ自体ですから、どこかにいい所が必ずあります。それを認めて褒めてあげると、心を開いてくれるのです。
ところで、その後、この親分・子分の少年二人は、この迫千代子さんの導きですばらしく更生していくことになるのですが、詳しくは『無駄なものは一つもない』をどうぞお読み下さい。
また、一見悪く見えることでも、観方を変えれば、その奥にある善性を認めることができることについては、生長の家創始者・谷口雅春著『生命の教育』(日本教文社)の「第三章 無軌道の教育法」に詳しく書かれていますので、ご一読をお勧めいたします。
大学教授 M. Y.
2013年9月8日日曜日
「聖職者」を実感させられた“あの日”
小学校教諭のY・Sです。
教師は「聖職者」だと自覚しながら教壇に立たれている先生方がどれだけいらっしゃるか分かりませんが,私は少なくとも「聖職者たれ!」と自分に言い聞かせながら教師を続けてきたつもりでした。もちろん私自身,聖人・君子でもありませんし,周りの誰もそう思っていませんが。でも,それをめざしたいとは常に思っていました。しかし,“あの日”…。
平成23年3月11日
私の居住地・勤務地とも東北地方の太平洋側内陸部にあります。あの日の午後2時46分。低学年を担任していた私はほんの5分前に子供たちを下校させ,まだ教室に残っていた子供たちといました。トイレに行った児童を教室の机の下にもぐらせたと同時に激しい揺れと校舎の軋む嫌な音が聞こえ,立っていることはできなくなりました。私は必死に子供たちに「大丈夫だから落ち着け!」と自分に言い聞かせるように繰り返していました。とても長く感じる1分ほどが過ぎて揺れがやや弱まり,校庭に避難しようとしたその時,大きな地鳴りとともに猛烈な揺れがきて,最後まで落ちずに踏んばっていた底の広い花瓶が落ちて割れる音がしました。「なんだこれは!校舎が倒壊する!」そう思った時私はおもわず子供の机を揺れないようにしっかり押さえていました。「この子たちは俺が命をかけても守る!」頭に浮かんだのはその言葉でした。“殉職”という文字も脳裏をよぎった後,家族の顔が浮かんできて,ようやく冷静に周囲の状況を把握できるようになったとき揺れも収まってきて校庭に避難することができました。校庭にはすでに多くの子供たちが避難し,女児の中には大声で泣いている子もいましたが,それをなだめる気持ちにはなれませんでした。校庭もまだ立っているのがやっとなほど揺れていて,一部地割れがしているのを目の当たりにしてしまったからです。
あのとき,思わず「命をかけても子供たちを守る!」という気持ちが起こり,体中にビリビリと電気が走った瞬間を今でも鮮明に覚えています。そしてわたしは初めて「教師という仕事はやはり“聖職”なんだ。」との実感をさせられた思いがしました。同時に「自分にもそれをめざす資格はあるようだ。」との自覚と自信をを得ることができました。
幸い私の勤務校の子供たちと職員,家族はみな無事でした。
『東日本大震災』からもうすぐ2年半が過ぎます。亡くなられた方々のご冥福と被災地の1日も早い復興を祈りつつ。
教師は「聖職者」だと自覚しながら教壇に立たれている先生方がどれだけいらっしゃるか分かりませんが,私は少なくとも「聖職者たれ!」と自分に言い聞かせながら教師を続けてきたつもりでした。もちろん私自身,聖人・君子でもありませんし,周りの誰もそう思っていませんが。でも,それをめざしたいとは常に思っていました。しかし,“あの日”…。
平成23年3月11日
私の居住地・勤務地とも東北地方の太平洋側内陸部にあります。あの日の午後2時46分。低学年を担任していた私はほんの5分前に子供たちを下校させ,まだ教室に残っていた子供たちといました。トイレに行った児童を教室の机の下にもぐらせたと同時に激しい揺れと校舎の軋む嫌な音が聞こえ,立っていることはできなくなりました。私は必死に子供たちに「大丈夫だから落ち着け!」と自分に言い聞かせるように繰り返していました。とても長く感じる1分ほどが過ぎて揺れがやや弱まり,校庭に避難しようとしたその時,大きな地鳴りとともに猛烈な揺れがきて,最後まで落ちずに踏んばっていた底の広い花瓶が落ちて割れる音がしました。「なんだこれは!校舎が倒壊する!」そう思った時私はおもわず子供の机を揺れないようにしっかり押さえていました。「この子たちは俺が命をかけても守る!」頭に浮かんだのはその言葉でした。“殉職”という文字も脳裏をよぎった後,家族の顔が浮かんできて,ようやく冷静に周囲の状況を把握できるようになったとき揺れも収まってきて校庭に避難することができました。校庭にはすでに多くの子供たちが避難し,女児の中には大声で泣いている子もいましたが,それをなだめる気持ちにはなれませんでした。校庭もまだ立っているのがやっとなほど揺れていて,一部地割れがしているのを目の当たりにしてしまったからです。
あのとき,思わず「命をかけても子供たちを守る!」という気持ちが起こり,体中にビリビリと電気が走った瞬間を今でも鮮明に覚えています。そしてわたしは初めて「教師という仕事はやはり“聖職”なんだ。」との実感をさせられた思いがしました。同時に「自分にもそれをめざす資格はあるようだ。」との自覚と自信をを得ることができました。
幸い私の勤務校の子供たちと職員,家族はみな無事でした。
『東日本大震災』からもうすぐ2年半が過ぎます。亡くなられた方々のご冥福と被災地の1日も早い復興を祈りつつ。
2013年8月21日水曜日
自己讃嘆ノートで生徒に自信を!
学習塾講師のA.Mです。
前回書き方を説明しました、塾の生徒たちの自己讃嘆ノート
『私は素晴らしい存在だから 自己讃嘆で未来を拓く
希望実現のためのノート』に 実際に書かれた言葉を紹介します。(原文のままです)
<自分のいいところ>
〇バスをおりる時、運転手さんにお礼を言う。〇みんながどんよりなっている時、もり上げれる。
〇ケンカをしても、すぐにあやまって仲直りができる。
〇ラインズマンができる。
〇物を最後まで使う。
〇出欠黒板をかかさずかきにいっている。
〇動物に優しい。
〇自分の気持ちをコントロールできる。
〇本をよく読む。
<家族のいいところ>
〇家族みんな、友達が多い。〇母さんの免きょは「ゴールドメンキョ」だ。
〇妹は練習を休まない。
〇母さんは、学校の行事によくきてくれる。
〇父さんは、だめなことは「だめ」としっかりしかれる。
毎回十個書いていると、う~ん、他には…と、一生懸命探すようになります。
どんどん、いいところが見つかってくるのです。
そして、「自分も家族もいいところがいっぱいあるなぁ」と思うようになります。
自分を肯定的に認めることができるようになると、
努力した分、どんどん花開くようになりますね。
もちろん、途中には、こんな会話もあります。
生徒 「もうこれ以上いいところはない!」
「もう書けない」私 「自分は健康だ、って書いたことある?
自分は毎朝 歯を磨く、って書いた?」
生徒 「それは 当たり前のことで、いいことじゃないです。」
私 「当たり前って 世の中にないよ。
あなた、生まれた時から歯磨きしてた?
お母さんとあなたと、毎日毎日努力してつけてきた素晴らしい習慣よ。
お母さんと自分の努力の結晶よ。
今健康なのだって、有り難い、すごくいいことよ。」
すると、当たり前と思っていた、小さなことだと思っていた、いろいろなことにも
スポットライトが当たり始めるのです。
〇視力がいい。
〇朝は自分で起きる。
〇遅刻したことがない。
〇自由に走れる。
〇むだなしぼうがない。
〇にこにこと笑える。
〇くつのかかとをつぶさない。
〇自由に息ができる。
こうなると、
「自分で気付いていないだけで、いいところはもっともっとたくさんあるんだ!
自分は恵まれているんだ!」
と思えるようになり、しっかりした自信がついてくるようになるのです。自分は恵まれているんだ!」
素晴らしい生徒の素晴らしい自己讃嘆のことばをいつも読める、私も幸せです!
2013年8月13日火曜日
いじめ問題は解決する ― 日時計主義の教育を ― (訂正版)
高校教諭のK.Oです。
かつて、いじめの問題を指導しました。1人の女子生徒がターゲットにされ、3~4人の男子生徒からいじめられた事件でした。携帯電話に悪口のメールが送られる。それも複数から集中的に繰り返して。教科書等も隠されたり、いたずらされることが頻繁に起こったのです。それが発覚し、加害者の男子生徒は無期停学処分となりました。
私は指導担当として、長期間彼らを指導することになったのです。授業には出席できないので、主に清掃等の奉仕作業・読書・反省文・面談を行いました。面談では生徒の話を聞きながら、人間は神の子でみんな素晴らしい生命であること、また愛と感謝についてや思いやりのある生き方等を話しました。とくにノートを1冊用意させ、自分と周囲の人達の良いところをさがして、書くことを指導したのです。自分の良いところを5つ、友達の良いところを5つ毎日毎日書かせました。
はじめはなかなか書けませんでしたが、だんだん書けるようになっていきました。つまり光明面を見て、日記を毎日書いたわけです。今思えば、この日時計主義(*)の日記を中心とした、日時計主義の教育が彼らが立ち直る一番の力になったと思います。その後、彼らは処分解除となり、教室に戻ることができました。女子生徒も男子生徒たちも無事卒業していきました。
私は指導担当として、長期間彼らを指導することになったのです。授業には出席できないので、主に清掃等の奉仕作業・読書・反省文・面談を行いました。面談では生徒の話を聞きながら、人間は神の子でみんな素晴らしい生命であること、また愛と感謝についてや思いやりのある生き方等を話しました。とくにノートを1冊用意させ、自分と周囲の人達の良いところをさがして、書くことを指導したのです。自分の良いところを5つ、友達の良いところを5つ毎日毎日書かせました。
はじめはなかなか書けませんでしたが、だんだん書けるようになっていきました。つまり光明面を見て、日記を毎日書いたわけです。今思えば、この日時計主義(*)の日記を中心とした、日時計主義の教育が彼らが立ち直る一番の力になったと思います。その後、彼らは処分解除となり、教室に戻ることができました。女子生徒も男子生徒たちも無事卒業していきました。
生長の家総裁、谷口雅宣先生は次のようにご教示くださっています。
この日時計主義の生き方をしていれば、「物がほしい」とか「遠くへ行きたい」とか「まだ足りな い」とか「不安である」などという一種の精神的飢餓感から解放されます。今の日本には物があふれているのに、そういう“心の貧困”があります。物が多いことで、かえって精神が飢えている――そういう物質主義的な生き方から抜け出す道が生まれてくるのです。価値観の転換が行われて、外から何かを付け加えることで幸福を感じるのではなく、内部の神性を開発することに喜びを見出す。他から奪うことではなく、他に与えることで充足する――そういう新しい人間の生き方が広がっていく。
『次世代への決断―宗教者が“脱原発”を決めた理由』178・179頁
生徒たちは物をあふれるほど与えられているが、心が貧困で満たされていなかったのでしょう。いじめ問題は必ず解決します。本来、実在世界にはないからです。生徒の欠点、悪いところを指摘しても解決しません。いじめをさがしだすだけでは、なくならないのです。すべての生命、植物も動物も鉱物もその生命を愛し大切にするこころは、自分や友達の良いところを見て思いやる生き方に生長します。
良いところ、明るい面を見る日時計主義の教育を実践しましょう。
自然界に、教え子に、先生方に神の愛を与えましょう。
K.O
K.O
* 輝く喜びの時刻のみを記憶し、語り、思い出す生き方
(投稿者K.Oに訂正しました)
2013年8月12日月曜日
解放と引き出しの教育
高校教諭のK.Oです。
「O君、よく髪を切って直してきたね!合格!」と私は褒めて握手をしました。かつて、O君は入学してから約7ヵ月間、ずっと茶色に染めた長い髪をしていました。月1回の指導で毎回のように注意され、それでも彼の髪の毛に全く変化はありません。ついにO君の母親に来校願って、指導をしてもらうようお願いしました。しかし余計に反抗的な態度にエスカレートしていったのです。私は困ってしまい、『生命の教育』(谷口雅春先生著)に救いを求めました。すると本書には、次のように書いてありました。
子供を善に導くにはなるべく叱らない方がよいのだ。叱るということは子供の心に悪しき行為を二重に印象することになるのであって、今度またその悪しき行為を自然的に繰り返そうとする傾向を助長するものである。(141頁)
私はハッとし、生徒の欠点を見て良くしようと、力が入っている自分を反省しました。私はO君の「完全円満な“神の子”」のすがたを祈り、明日の指導はさらりと流そうと考えていたのです。すると翌日O君は髪の毛を切っており、他の先生方も皆、驚いた様子でした。
児童・生徒の指導には、解放と引き出しの二方面が整うとき、効を奏します。
K.O
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